阪神大震災を体験して  
職員の体験記



大震災の感想

院長 宮本  孝

 阪神大震災が発生して三ケ月が経ちました。この間に起こったことの記録、反省、教訓等をまとめる事は絶対必要ですが、それは別 の稿にゆずるとして、ここではいくつかの感想を述へさせていただきます。
 
私は従来より、祖父や父がそうであった「村医者」とサテライト透析医の間に共通 点が多いと考えていました。それは (1)特定の患者さんと一生のおつき合いになる。
 ( 2)医療の窓口として全責任を負わねばならない、という意味です。そこで私は「西宮村の村医者」を心がけ日々の診療に当ってきました。しかし、それにしても此度の大震炎は衝撃的でした。まさに極限状況の中で「村医者としての役割」を果 たしきることが問われたのです。被災した人々の多くが安全な場所へ避難したり、大阪へ脱出したにもかかわらず、透析者はまず今日、明日の透析をどうするかを考えてからしか行動する事ができない。改めて身の不自由さを感じられたことでしょう。
 被災当日、透析予定の人はぞくぞくクリニックへ集まって来ました。来れない人からも「どうしたら良いか」との問い合わせの電話が相次いでかかってきました。自分のような頼りない人間にでも、こういう時は全面 的に頼らざるを得ない患者さんの立場を不憫に思うと共に、どんな事があっても全員透析が受けられるようにしなければと気を奮い立たせました。
 朝、早々と八人のスタッフがかけつけてくれた。有難かった。まずスタッフは確保できた。破れた配管を閉鎖し、ただちに大阪の業者に修理を依頼した。しかし何時直るか分からない。配管が直っても器械は大丈夫だろうか。電気配線は水中につかっているし…。水は確保できるか。難しい。やはり全員を自院で透析するのは無理だ。宝塚病院へお願いした患者も断水の為透析を受けられなくなった。尼崎も駄 目なので大阪の病院へ頼もう。OKをもらった。そうだカリウムを測ろう。高カリの人はまず大阪へ行ってもらおう。でもその他の人も今日できなくても明日は絶対透析が必要だ。すると明白予定の人と合わせると、とても水が確保できそうもない。どうしよう。落ち着け。やはり大阪へ行ける人はできるだけ多く行ってもらおう。早い方が良い。遅くなると受け入れてもらえないかもしれない。自家用車でグループを組んで行ってもらおう。行きつくまで何時間かかるか分からないが、彼らなら体力的に大丈夫だ。体力のない人と高カリの人には救急車を頼もう。
 頼んでもなかなか来ない。よし消防署のAさんに頼もう。でもこんなにたくさんの人を乗せてくれるんだろうか。けんかしてでも絶対乗せてもらおう。午後六時頃救急車が来た。優しい隊員だ。もう少し乗っても文句を言われないようだ。よし乗れるだけ乗ってもらおう。13人乗れた。最大の危機は脱した。一息つく。
 午後八時過ぎ配管が通じた。器械始動。OK。万歳、透析ができる。次は水だ。残り4屯足らず。水道局に頼む。給水車来る。中身は0.5屯足らず。避難所への給水まわりの途中で寄ってくれたとの事。「この水は避難所へ持って行って下さい。その代り夜中で結構ですので2屯下さい。」夜中に持って来てくれた。嬉しかった。約束を守ってくれた水道局員に感謝。
 結局、当日クリニックとの連絡がとれず、自力で透析病院をさがした人は二名で、その他の人は当院か、当院からお願いした病院で透析を受けることができました。この間情報の行き違いが、クリニックと患者さん、患者さん同志、大阪の病院との間でいくつかありました。当時の異常事態の中で、どうしても自分の訴えや思いこみが先走りし、相手の状況を十分に思いやる心の余裕と判断力が持てなかった事によると思います。全員が無事であったということで、お互い許していただきたいと思います。
 翌日からの透析は、元気な人、クリニックより東の人は大阪へ行ってもらい、移動困難な人、クリニックより西の人は当院でするという風にふりわけました。水を確保する目度が十分立たなかったからです。今ふり返ってみて、この間とった判断や行動に大きな間違いはなく、むしろ与えられた条件の中で患者さん、スタッフ、お互いの協力によリスムーズに切り抜けられたのではないかと思います。
 しかし透析をするということでは問題がなくても、ライフライン停止の中での患者さんの生活実態はひどいものであり、又、通 院面でも大変な困難さを伴い、その疲労度は極限近くに達している人がたくさんいましたが、疎開を勧める以外とうすることもできず、無力さを感じました。医療は医療だけでは成立しないということをいやほど知らされました。被災後一週間経つと、避難所生活をしている人を中心として精神、神経異常を訴える人が出てきました。又、抵抗力の低下により感染症か増えたり、血圧の変動や心臓の衰弱が強い為、入院しなければならない人が例年より多くなっています。私も被災二ケ月後に含までになかった心身の不調を感じました。震災は私達の心と体に見えない傷をつけているようです。「ゆっくり、あわてず」をモットーとし、時には現実を忘れることのできる時空を持つことが必要と思われます。
 此度は被災者として患者さんもスタッフも同じ立場で語り合うことがでさたことは、お互いの人間関係にプラスになったと思います。私やクリニックも水や食料等で患者さんに随分助けていただきました。又、他のボランティアからも多くの援助をいただきました。特にアサヒビール株には当初から長期にわたって給水していただき、「アサヒ」以外のビールは飲めない気持になりました。人生長いようで短い。今ある人間関係に感謝し、今を大切に生きていく気持ちが一番だと改めて感じました。
 今後、同じ被災者でも被害の程度、年令、健康度、経済状態等の条件により、復活への足どりに大きな差が出てくるのではないかと危惧されます。皆様の健康管理を通 じて何か役立つことはないか、今後共考えて行きたいと思っています。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック