無題
患者さんの体験記


【匿名】

 一月十七日阪神大震災という天災で、私の家はたいした被害はありませんでしたが、その日透析日でしたので、宮本クリニックに電話しましたが、通 じなく、不安な気持ちで駅まで行きましたが、電車は不通で、家に電話し車で行きかけましたが二号線が停滞で動けなく、家で病院からの連絡を待とうと思いましたがそれも出来ず、又車で出かけ遠中、公衆電話で病院へ問合せた所、宝塚病院へ行く様に聞かされ、引き返して宝塚へと向いました。途中亀裂の出来た所や、家屋の倒れた前を通 りながらやっとの思いで病院へ着き、二十分位待っていたが、水道が止まったとの事で透析が出来なくなったと知らされました。
 さてこれからどうしようと七、八人いた人達はそれぞれ考えました。私は宮本クリニックに帰って修理の出来るまで待つ事にしようと思いましたが、帰りの便がなくて困っていた所、鈴木さんがもう一人乗れるからと言ってくださり、長い道中御主人にお世話になりました。
 丁度その頃息子が透析すんだ頃と思い迎えに来てくれていましたが、行き違いになってしまいました。宮本クリニックに着いたのが夜の十二時半頃だったと思います。スタッフの徹夜の修理で透析出来るとの事、一安心しました。看護婦さん達の中には御自分の家が全壊、半壊、いろいろ被害のある大変な時に、私達のために病院に来ていそいそと働いている姿に、とってもうれしく、ありがたく、まさに白衣の天使を感じました。今さらながら透析のありがたさが身にしみました。その夜病院で一泊させていただき、朝迎えに来てもらって無事家に帰りました。その後しばらく大阪の中村クリニックでお世話になり、電車の開通 後、宮本クリニックに帰って参りました。家族の者は一時消息が分からず心配したそうです。それからは息子が携帯電話を買ってくれ毎回持っております。二度とこの様な事のない様にと祈ります。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック