一九九五年 一月十七日朝 五時四七分
阪神大震災を体験して

患者さんの体験記


【匿名】

 始に、被災された皆様方には心よりお見舞いを申し上げます。 朝、目をさまして、起きようと思って、居る時の事、「ドーン」と云う音、びっくり何事かと、思っていると「グラグラ」ア、思わずフトンをかぶり、身動きが出来ませんでした。静かになって顔を上げて見ると、停電、何も見えませんでした。その時主人が懐中電灯を持って来てくれて、見た時の驚き。ただ呆然としていました。ふとその時、孫は大丈夫かと気になり、走って見に行きました。すると、「おばあちゃん元気よ」と、出て来た、顔を見て、安堵の胸をなでおろしました。  今日は病院の日で無いので、明るくなったら片付けをしないと、と思って、身支度をしました。「さあ、どこから手を付けて良いかわかりません。その時、ふと病院が心配になり、でも、まだ早いので片付けをしながら時間がたつのを待ち、電話をしました。何回しても何回してもかかりません。何回目かにやっと通 じました。病院は、大丈夫でしょうか、と聞くと、「機械がこわれて、今、修理をしている所だ」との返事でした。その時、明日は大丈夫と思いました。二日目今日は病院の日、乗物が無い?谷口さんと、自転車が一番早いと、出かけました。2号線を走り出して見ると、右を見ても、左を見ても、倒壊家屋がいっぱい。あまりの状況にあらためて驚く。それを横目に、一生懸命に走りました。病院が見えた時は本当にほっとし、中に入って院長先生の、お元気な様子を見て、又安心し嬉しく思いました。
 やれやれと思っていると、杉本さん、水がたりないので大阪へ行って下さいと云われ、見ていると、私達を受入れてくれる病院探しに一生懸命の先生、看護婦さんの姿を見て、「緊急時」にはいかに病院側が大変かと、水の事。患者の事。その他、色々目が回る程の忙しさだったと思いました。皆様の努力にただ頭の下る思いでいっぱいです。
 先生が、水に大変こ苦労をして下さったおかげで、早く宮本クリニックに帰る事が出来て、ほんとうに嬉しく思いました。大阪の病院では、とても親切にしていただいて感謝致しております。こんどほど「水」の大切さを身を持って知らされたことはありません。特に私達透析患者には 「水は命」だと云う事を。家でも、「水の出ない日々」「ガスの無い日々」お風呂をさがして、西、東、お風呂に入れた時の嬉しかった事。大さなお風呂と喜ぶ孫?「水」の出た日嬉しかった事、又「ガス」がつかえる様になった日、忘れられない思い出です。    どちらも大切につかって行きたいと思っています。早く皆様が元の生活にもどれます様、心からお祈りをしております。
 ほんとに、お世話になった皆々様、ありがとうございました。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック