無題
患者さんの体験記


【匿名】

 ガンガンガン。突然伊丹飛行場から飛び発ったジャンボ機が、或いは宇笛からの…ちょうど武庫川上空(飛行コースである我々の病室の真上辺り)で失速、堤防に激突したかの様にペットでほとんど硬直状態に…、そのベットからいつ叩き落とされるのか(左右の腕、両肩にかけて三日程の筋肉痛。その間何秒だったのか屋上の水タンクに亀裂が出来、ナース・ステーション辺りの天井板が水もれの重みに耐えかねて、とっさと水びたし、一方洗面 所辺りでは、腎臓患者の尿量検査袋二十余人分が、その辺りに尿びたし、勿論エレベーター、トイレの使用禁止。
 昼食前に医療機械等の支障で、出来ることならこのまま退院して下さいと 主治医からの通 達、又二、三日は冷たい牛乳とパンだけの食事(朝昼夜)。一月十九日十時半、救急車にて大谷記念病院に行く。淀川大橋を渡る途中で大阪から西へ向かう車の列のすこさに初めて、地震がいかに悲惨で有ったかを知る。
 此の世に神様が本当に居るのなら、淡路島岩屋(神の戸=洞くつ)子午線上付近が震源地とは、何と不思議、或は何と皮肉な巡り合わせなことか。
 紀元は(日本書記等によると)二千六百有余年後の現在、一億人が震え上がる程ではなかったが、地獄に落ちた瞬間を、地震となって再現されるとは誰一人予想もしなかった出来事で…。

 

→目次へ戻る←

阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック