「無題」
患者さんの体験記


【匿名】

 平成七年一月十七日午前五時五十分頃、ドーンと激しい音と共に揺さぶられるような激しい震動が我が家を襲った。
 私はベットから転がり落ち、割れたガラスで少し手を切った。窓に目をやると戸が菱形に変形しながら開いたり閉じたりしている。動転した頭で周りを見同すと、本棚の本は飛び出して、引き戸のガラスは割れて粉々になっていた。冷蔵庫の扉は開いたままで、食べかけのミカンの缶 詰や中身が全部、部屋中に散らかっている。食器類はたいがい割れたりカケたりして散らばっている。足のふみ場もない有様である。
 これは大変な事になった。テレビに目をやると、通常番組だが下にテロップで大阪震度4としか出ていない。他は大した事なかったのかなあ、我が家だけが被害を受けたのかなあ、と思って外に出て見ると、近所の人はまだ誰も表に出ていない。水道の栓をひねってみる。水が来ない。これは断水だなあと思いながら、車で表通 りに出て見ると、やや家の壁かはがれて落ちて道路をふさいでしまっている。細い路地はこれでは通 れない。ほとんどの家の屋根がズレたりモルタルが割れたり、ヒビが入っている家があっちちっちに見られる。仕方がないので広い道路を通 って市役所方面に行ってみる。あちらこちらで火の手が上がっている。まるで映画の戦場、シーンの様な感じだ。消防自動車もまだ来ていない状況だ。建物は燃えるがままになっていた。その廻りを取り組むように、数人の人々が背中にリュックを背負ったまま観ているだけだった。何やら興奮している様でもあった。
 ようやく家に帰ってテレビを観たら、神戸震度5、マグニチュード6.3、震源地は淡路島北部と出ていた。大変だ、大地震だ、今までに体験した事のない本物の大震災だ。我が家でも階下の工場の機械がすべてあっちこっちに動いている。コンピューター付の、重さ5tもある工作機械も動いていた。コンターマシンは壊れて使いものにはならない。大変な被害だ。早く立ち直らなくては、あーどうしようーこれでは仕事にならない。建物はどうだ、大丈夫かな?もう一度よく見て観ると、表の下の部分のモルタルに多少のヒビが入っている位 で他は何ともない様だ。これ位で済んで良かった。建物は鉄骨作りで丈夫なグレンを通 す為の巨大なジョストンが支えていたのでビクともしなかったのだろう。とにかく我が家が無事でほっと胸をなで下ろしていた。
 現在は機械の修理も終えて事業を再開しておりますが、ふり返って見て、つくづく思う事は、地震よりも火事である。地震で壊れなかった家も火事で焼けた家も数多く見られます。あの時水道が断水していなければ、こんなに多くの被害が出ていなかったでしょう。消防車か来ても、消化栓が使えず、防火水槽があれば、あれほどの大火にはなっていなかった筈でした。
 
マスコミは出来るだけ速やかに、より正確な情報を市民に提供する事を望むと同時に、今後災害に対して一尽、の防災に対処するためにも災害時のマニュアル作りを推進していくへきである。電気・ガス・水道・電話等都市機能がマヒした状況では特に思う事である。特に防火水槽の設置は急務である。
 これで私の感想を終わります。今後の災害を未然に防ぐ為にもこの経験が役立つ事を心よりお祈り申し上げます。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック