「大地震で感じたこと」
患者さんの体験記


【匿名】

 今回の大震災は、淡路北端を震源として、マグニチュード七・二、中心部分は震度七という都市直下型の大地震による災害でした。
 アメリカでは、活断層上に街を造ることは法的に規制されているそうですが、その活断層が畿本も阪神間のま下に走っていることなど、全く知りませんでした。「安全神話」の中で危機管理意識を全く持たなかったといえます。
 私の家は、数年前、阪神電鉄高架化の事業のために立ち退きを命じられました。そして何十米か北に家を建て直さざるを得ませんでした。そのために危うく全壊の危険を免れました。
 阪神香炉園駅の北西部にあたり、松下、屋敷、弓場の三町からなる森具地区で、古い民家の多いところです。香炉園市場を含む屋敷町は被害が最も大きく、九百世帯あった町が現在は百世帯になっています。死者は四十人。殆どが圧死で、あとの二町も似たような状況でした。
 老朽の木造家屋はむろんのこと、鉄筋コンクリートの高層住宅といえども、旧基準のものは鉄筋に破断を多数起こしています。
 しかし、何といっても、私たち障害者にとっては、水道・電気・ガスのいのゆるライフライン (生命線という新語)の停止、通 信・鉄道系統の麻痺は、痛切な打撃でした。
 水に関していえば、飲料・トイレなどの生活水の確保のほかに、透析用の水は、いのちに直結する水であり、危機対策の日頃からの準備の必要を教えられました。先生はじめクリニック側の必死のこ努力は忘れられませんが、しかしこの問題は、すへての透析者が、危機に遭遇したとき、自分の生命を、自分たちの力でいかに守るか、という問題に還元されます。他力本願であってはならないと思いました。
 地震以後三ケ月経ちました。その間いろんなことが明るみに出ましたが、その二、三を書いておきたいと思います。
 その第一は、災害復旧の過程で問題になっている都市計画にも関わることですが、住民本位 の街づくりとは何か、どうすればそれが可能かという問題です。
 これまで都市の開発は、駅前再開発にしても、海の埋立てにしても、どちらかといえば、住民の意志というよりはゼネコンや大企業の喜びそうな形での大型プロジェクトがほとんどでした。しかもそれは税金を使ってです。政・宮・財の癒着として、他の県でも問題になっています。開発をいちがいに否定はしませんが、それをいうなら、地震に耐えられない古い建造物を公費補助で再建する、というようなことをやるべきで、それでこそ住民本位 といえるのではないかと思います。
 その二つめは、今回の地震による死者五千五百人の五割以上が、六十歳以上の老齢者だといいます。また関学や神戸大その他の学生で、ワンルームマンションなどには入れないで、安い木賃アパートで生活していた人たちが、多く犠牲になっています。神戸市長田区が、都市貧困層や在日朝鮮人の方々が多く、零細企業を営み、今回甚大な火炎で家を焼失しました。これらの事実は、災害は弱者につらく当たる。別 の言葉でいえば、災害にも階層による差があるのではないか、と思えるのです。
 最後にひとつつけ加えたいのは、ボランティアなどに端的に表れているような、日本人の理性の成長とでもいうべき変化についてです。大正十二年、死者九万人を出したあの関東大震災のときには、流(で)言(ま)がとびかい、多くの朝鮮人が虐殺されました。パニックになったのでした。今回はそうはなりませんでした。中学生から青年男女に至る人々が、他からの強制でなく自発的に救援に立ち上がっていました。中には色んな問題がむろんありましたが、しかし五十年前の辛い戦争や空襲の体験、それに加えて戦後の教育によって、少しずつ変わってきたのだと思います。住民や市民の中に自主自立の精神が育ってきたことを、何よりだったと考えています。(一九九五・四・十五)

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック