阪神大地震
患者さんの体験記


【匿名】

 一月十七日火曜日、私は透析日でした。  私の家では十六日に主人が心不全の為亡くなったので子供達は来ていました。突然に襲った大地震、周りで、ガチャーン・ガチャーン・ドシーンと口で言い表せないほどの音。電気が消え時闇で何も見えない。恐怖と不安が一度にのしかかってきました。悲しんではいられません。ローソクの明りで台所に行ってみました。棚から落ちた食器棚がたおれておりびっくりしました。
 透析は休む事は出来ないので長男に病院へ送ってもらいました。道路の地破れや崩れた家が多く、通 行止めになった道、苦労してやっと病院に着きました。病院は無事でした。ほっとしていると機械がこわれ透析が出来ないと聞き、がっかりしました。水も出ないし、透析には大量 の水を使いますので頭の中か一瞬暗くなりました。先生は透析の出来る病院を手配して下さいました。 昼か過ぎても出来そうもないようでした。三時頃になって宝塚病院で透析が出来るといのれたので宝塚病院に行さました。自動車か多くなかなか前に進みません。宝塚病院についにのは六時頃でした。やれやれと思った時、この病院でも水か止まったので、透析か出来なくなり、西宮の宮本クリニックに帰るように言われ、又帰る事にしました。帰りは五時間かかりました。透析か終わった時は十八日朝三時でした。私達透析患者にとっては命の水と思いました。地震はまだまだ続いています。 テレビを見て震災へて被害にあった人か多いのにびっくりしました。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック