阪神大震災を経験して
患者さんの体験記


【匿名】

 夢の中であった。と、突然、ドーンという地鳴りとともに、下から突き上げられた。それから、マンションは音を立ててきしみ、はげしく揺れ動いた。暗闇の中、タンス・食器棚はガラスがとんだり、倒れ、テレビ・電子レンジ・ガラス器・食器等は部屋中破片が散乱していた。
 家内に「懐中電灯は、ラジオは」と尋ねたが、「どこにあるかわからない」と混乱の中から答えが返ってきた。「とにかく、外へ出よう。毛布をかぶれ」、長男へ「車を道路へ出し、ラジオをつけろ」と伝えた。突然、闇の中で電話のベル。大阪茨木の二男から「ボク、お父さん大丈夫?」「落ちついている。家具は倒れ、ガラスは散乱しているが大丈夫だ。怪我はない。これから外へ出るところだ。心配ない」。
 とにかく、家族たちと階下へ降り、車の中へ。ラジオは、速報を告げているが、断片的な報道で、どこが、どうなっているのか、よくわからない。
 道路へつぎから次と、人が集まり、あふれてきた。口々に恐怖を話す人、黙りこくってただふるえている女性などさまざま。その内、空は、次第にうす明かりがさし、周囲が見渡せるようになった。長男に「一度部屋に戻ろう」と話し、マンションに戻ると、ビル全体は20センチメートル程浮き上がり、玄関は隆起破損しており、道路は割れ、歩道のコンクリートがめくりあかっていた。
「ガスが漏れている」、「元栓を締めてください」の声が流れる。三階で「だれか助けて下さい」と女の人の声。住民は一斉にその声の部屋へ走った。倒壊した温水器にはさまれた人は救出された。
 階段をあがるに従って、西宮・芦屋の市街地を望むと、あちら、こちらと、煙が上がっているのが見えた。  明るくなった部屋は、ガラスの破片等で足の踏み場もないありさま。
 突然、二男が入口に立っている。「どうしたのか」と尋ねると、「電話した後、すぐに家を出て、車をとばしてきた」と。「43号線を走ってきたが、途中、道路・橋の破損、高速の倒壊なとが至る所にあったが、車がまだ少なかったので来られた」と。
 寒いし、やや落ちついたので、かたずける前にお茶をすする。それから、かたずけは家族にまかせて、出勤した。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック

 

阪神、淡路大震災を体験して
患者さんの体験記


【匿名】

 一月十七日早朝突然大きな揺れを感じた「アッ怖いー地震や」と隣の部屋から娘が「ママー、ママー、大変大変、ワー、キャー」と叫ぶ。起き上がろうと思うがベットが揺れ、なかなか起き上がれない。主人が声を聞きつけ娘の部屋に駆けつけ、中に入ろうとすると又「ウワー、あかん あかん、はだしで来たらあかん」と大声で叫んでいる。本棚が倒れ、熱帯魚の水槽3個が割れ、ガラス・水・本が散乱している。階下では食器棚や箪笥が倒れここもまた大変なことになっている。
 周囲が明るくなってくると、家のことより職場のことが気にかかり、崩れたブロックに当たらないようにそっと車を出し、一路職場に向かった。道中ほとんどの家が倒れ、ビルが傾いて道路の上まできている。ブロック塀が倒れ道路を塞ぎ、道は大変な亀裂が入っている。その間を縫うように走った。職場も手の施しようがない程の被害を受けている。必死になって一人で出来るところを片付け、ほっと、一息ついてボーットしていると避難者の受入れをするように、とTELがあった。このままの状態では受け入れられないので、又、教頭の助けを借りて部屋の片付けに奮闘する。これからが大変で泊まり込みの日々が続く、頑張らなくて派!
 考えてみれば今日は火曜日クリニックへ行く日である。いつもクリニックに頼りきっていたので、震災と透析が結び付かず、心のケアーを求める気持ちでドアーを開けると、いつもと様子が違う。午前透析をして帰っておられるはずの方が、悲壮な顔して今から宝塚へ透析をしにいくとか、行ってきたとか言われているのを聞いて、やっとえらいことになったと思い始めた。どうしたらいいのか司っていると、クリニックのご配慮で明日午前中に来るようにと行ってくださり、ひとまずホットして帰路についたが、朝すいていた道が緊急車や単車、自転車でこったがえしている。やっとの思いで家に辿り着いた。今日一日よく働いた。家に帰っても、職場にいても落ち着く場がない。 水汲み戦争の始まり。
 次回の透析の場所は自分で探して下さいといわれ「さあーどうしよう。いつもクリニックに頼りきりで甘えていた。知っている施設やクリニック仲間に電話をするが、留守だったり、通 じなかったりで今になって慌てている。やっと連絡がついて決まったが、婦長さんから紹介してもらったのでそっちに決めた。
 まだまだ若いつもりでいたのに、娘に頼って電車に乗り、地下鉄に乗り不安な気持ちで行ったが、みなさんが気持ち良く迎えて下さり、暖かい人の心に触れることができました。場所も比較的近いところだったのですが、何日ここに来ればいいのかしら、時間がない、仕事を休まなければならないと言うことが脳裏から離れない。その気持ちが伝わったのか、宮本クリニックから少し水が確保出来たからと声をかけて下さり感激!いつも難無く透析を受けていた自分を反省し、非常に備え、何が起こるか知れないことをもっと認識しなければならない。生きるための努力、甘さを痛感しました。交通 機関が途絶え、泊まり込みでお世話下さる先生やスタッフの皆さんに深く感謝致します。

 

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