1.はじめに



 未曾有の大震災にみまわれてから4ケ月以上経過しました。この間、全国の透析医会、透析医学会会員、友人、知人から多くのご支援をいただきました。多くの人が「自らの人生観が変わったほどの経験」と語り、私はそれほどではないが、自らがいかに日常の中で安穏かつ油断のある生活をしていたかを深く反省させられ、又、鈍麻していた感性へのゆさぶりを受けました。(家族が無事だったので、この程度の認識で済んでいるのだと思います。)
 私は〈今回の体験を今後にいかす方法を提言することが被災医療機関の任務であり、御恩返しである〉とずっと考えていました。これは被災地域の兵庫県透析医会会員すべての思いだと思います。しかし、全員心身の疲れがでていることは否めません。幹事会でも、被災状況のアンケートをとりまとめるのが精一杯で、全体の提言をまとめる段階までは到達していません。もう少しエネルギーを回復させる時間が必要だと思います。但し、自院での体験の報告や反省、教訓をまとめることはできないことはありません。そのような報告が、置かれている立場の違う医療機関からいくつか出てくる中で、ある時期(今年末頃)に兵庫県透析医会としてまとめができれば良いのではないかと思っています。
 私は民間の透析サテライトという立場から、全国の同じ立場の先生方に、少しでも役立つ提言はできないかと考えて、この報告書を書きました。客観性や冷静さを欠く内容があるかもしれませんが、それはやむをえないことだと思っています。有事の際、大切なのは「理論」ではなく「気」である、一定の頭脳があれば後は「やる気」と「機転」の問題であると思っています。  特に最初の3日間は公共機関の顔がほとんど見えない状況の中で、自らの存在が問われるという体験を経、二度としたくないが、ある意味では貴重な体験だったと思わざるをえません。
 4月7日、原信二先生が急逝されました。先生は、兵庫県透析医会発足当初から10年間会長として我々を指導し、一貫して公正無私のお立場をとられ、会をとりまとめてこられました。被災当夜には電話をくださり「水がたりなければまわそうか」と言っていただき、その男気に感動しました。又、被災当日から様々な工夫をして神戸地区の透析不能施設の患者を引受け、獅子奮迅の活躍をされました。その疲れが出て死期を早めたと思われ、まさに透析医療への殉死であったと思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 報告書はまず当院と先生方の施設との類似点と相違点を明らかにする為、当院の施設概要を述べ、次に被災当時の雰囲気を伝える為、被災10日後に書いた緊急報告書を原文のままでのせ、その後各項目別 に客観・主観をおりまぜて報告して参ります。一つでも参考になるものがあれば幸甚の致りです。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック