阪神大震災



【匿名】

 午前五時四十五分、目覚まし時計で起こされた。眠気も覚めないうちにあの地震に襲われたのだ。直後、頭の中はパニック、家は水漏れ何十秒後かに正気に戻って状況の把握、車に行き、ラジオで二ユースを聞いてびっくり、神戸が震度6だと、んーそれを聞くなりすぐに実家に電話し母と話して、次にクリニックに電話をかけた。電話は転送になっているが先生宅につながらない。急いで着替えてからクリニックへ。車で出勤途中、クリニックに近づくにつれだんだんと被害は大きくなって行くのに驚き、さらに煙はよってくるは、灰は降ってくるは、だんだんあせってきた。道路が渋滞していたので歩道を走ってクリニックにたどりついた。院長と事務長がすでに来ていた。中を見るとクリニックの中はメチャクチャ、機械室は水浸し、あーあこれを片付けるのかと思うと、ぞっとした。
 看護婦さんたちがきたので片付け開始。片付けが終わったら検査と大忙し。バタバタしているうちに機械の修理の人が来て終わったのが七時過ぎ、透析が開始されたのが八時だった。その日は徹夜で機械を見ていた。そして一月十七日という長い一日が終わった。
 あれから約三ケ月の日が過ぎた。今は普段の生活ができている。今、思い出して見ると、すごくいい経験だったと思っている。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック