無題



【匿名】

 私の家の近所は、古くから住んでいる人が多く、昔ながらの「りんぽ」が健在しているところです。暖かくなると家々の前に老人が出ていたりもしています。朝の挨拶や帰宅時の挨拶等は笑顔でしていましたが、近所付合いはあまり好きではなく、仕事を理由に義母にまかせきりの状態でした。しかし平成七年一月十七日い以後、私の中で、なんとなく変わりつつある様です。地震当日、揺れが治まると隣近所の人達の声がして「大丈夫?大きい揺れやったね!」等と声をかけ合っていました。私も声をかけ合って、ああ驚いた。何もなくて、よかったよかったと思っていました。(私達の地域は砂地が幸してか地割れこそしていましたが、倒壊した家はありませんでした)その後私は、クリニックに出勤しており、テレビ等から入ってくる情報に驚き、まず生活用水の心配をしました。仕事を早めに切り上げさせてもらい、帰宅するとバスタブに満々と水が入っていました。隣の家の方がすぐ近所に手押しポンフで汲み上げる井戸を持っており、すくに開放してくれたそうです。その後も近所の三軒の方々が井戸水を開放してくれて、透明ではありましたが塩分が高いため、飲み水にはなりませんが、生活用水には不自由しませんでした。また、道路から漏水している水をバケツに引き込める様、工夫あったり、給水車が来ている、どこそこで焚き出しがある… etc、と情報を色々と入れてくれました。
 普段からあまり近所付合いをしない私に対しても笑顔で手伝ってくれ、情報を提供してくれる。ありがたい事だと思い、私も知らず知らず、近所のペースに巻き込まれ同化していました。落ち着きをとり戻しつつある現在、私の近所付合いは、限りなく義母に近付いている様です。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック