【匿名】
地震の朝、私はぐっすり寝ていた。 目をさますとベッドがゆれていた。ガバッと起きて婚礼だんすに向かって正座するが、たんすの扉がバタンバタン開いて私に向かってくる。八階なのでゆれるゆれる。
「エ〜ッこれは何!!」(地震だっちゅうに)
ゆれが治って部屋を見回す。電気がついていない。カーテンは遮光なのでまっ暗。今何時?暗さに目が慣れると一八〇cmの本棚(細いカラーボックス)は倒れている。TVの上の目覚し時計と花びんは落ちている。台所の食器棚はうつぶせに倒れてガラスはわれている。電気釜は床に転がっていた。
しばらくたって廊下で人声がするので玄関へ行くと鏡が割れてげた箱に倒れかかっていた。
廊下に出ると夜は明けていた。階段を降りて行くと友人がエレベーターの前にいる。回りに人が集まっていて、若いお兄ちゃんの携帯電話は不通
。おっさんのラジオは震源地は淡路島と言っていた。回りの団地はところどころ明かりがついていた。下を見ると道路は液状化していた。
友人の部屋のブレーカーを上げて電気をつけて実家に電話した。母親はまだ眠っていた。「地震だ。TVをつけろ、字幕がでてるだろう?…私は無事だ。」と切る。自分の部屋に戻ってNsSさんに電話をした。その時七時二十五分。七時三〇分に車で出勤するとの事「乗せてー」すくに着替えて、貴金属、預金通
帳、印鑑、生命保険証書(額面2千万円受け取り人母親)、健康保険証をバックに入れる。
団地中央のバス停で待つ。足もとはぬかるんでグチャグチャ。四十五分になっても車が来ないので場所を移動すると、目の前をスーツとSさんが行く。くるっと回って向こう側へ行ってしまう。中央分離帯の金網をのりこえて向こう側のバス停の前に止まっているSさんの車へ。(その時私は毛皮のコートを来てブーツをはいていた)
臨港線を通ると今津の高速かV字に落ちている。家は倒れ道はふさがれ2号線は渋滞。市役所の手前で降ろしてもらってSさんと歩く。八時四十五分クリニックに着いた。
四月現在、新しい食器棚と新しいサイドボードに買い換えて部屋は新婚家庭の様。院長、震災見舞ありがとう!!これで足りないのは旦那だけになりました。私は今年年女、年明けからえらい事になったものです。この先が思いやられます。
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