「大震災を見て」
患者さんの体験記


【匿名】

 平成七年一月十七日朝阪神間にこの世の終り、と思わんばかりの震災が起った。朝まだ暗やみをついて、家全体が宙に浮き上がった。誰が何を!!と言った様な物ではなかった。夜明まで待つ、長かった事。回りが明るくなり、近所の人はみな色々な事を言って集まり、大震災のおそろしさを話し合う。テレビ、ラジオ、生活すへてがパニック状になりました。私は自分の事に気が付き、透析の事を思い、病院に電話をするが、連絡が出来ず何回か、くりかえした。その時、私は障害者に対する関係の放送もなく弱者はどうすればよいか?考えこんでしまう…。さて、透析の先は、病院から、大阪は江阪の井上病院へ、そこから南森町の中村クリニックへ、と転送、第一回目の透析は三時間、第二回目は四時間と言う事でこれも又、不安の中の透析でした。
 大震災はすべての物をくるわしてしまったのである。国県市町は復興に向けて口だけでなく、本当の和平を全市民に対し築いていってほしいと思います。
 そして又、この様な事がないとも限りません。その時の為にのれわれ弱者は、石垣の様に、足元を固めて、和を作りながら、少しずつ進行復興したいものです。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック