無題
患者さんの体験記


【匿名】

 それは、私の日課としている早朝のワンちゃんの散歩を終え、炊事場にて一息ついている時でした。“グラッ!!ドーン!!来た!!地震だ!!異常にきしむ家屋の音、これは普通 じゃない。火気は!!∃シ!!玄関のドアを開けて逃げ口確保、水だ!!だがすでに水圧は完全に下がってしまっている。とにかく出る内に出来るだけ確保しなければ〃何をさておいても水を溜める。
 真っ暗の中で懐中電灯片手に無我夢中で、これだけするのが精一杯でした。
 二度と遭いたくない地震、でも思えば私は小一の頃、故郷の鳥取にて同じ様な震度の地震に遭遇して参りました。傾いた我が家をうらめしく眺めつつ向かいの歩道の上に「ムシロ」を敷いて近所の方々と、ざこ寝をしたのを、懐かしくさえ思えた子供の頃です。この度の地震には幸いにも、あの激震にも我が家は何とか持ちこたえてくれました。ボロッチョで、一にぎり程しかない我が家が、今では愛おしく感じます。武庫川の河川敷も、数多くの亀裂が生じています。でも、この春もその地割れした穴から、そして側面 からも野の花が愛らしく咲きました。
 我々を勇気つける様に
 「透析の出来る見通しがつきませんので大阪の白鷺病院へ行って下さい!!」宮本クリニックからの電話連絡も、上の空で聞いた様でした。あー病院も駄 目になったのか!!娘が心配して病院の近くまで様子を見に行ってくれたけど、通 行止めにて判断がつかないとのこと。訳もなく涙が出て来る。神様どうしてこんなむごいことをなさるのですか!!神をうらみもしました。
 でもあんな辛らい思いから約三ケ月、宮本先生の許にて透析を受けれる様になり、この上ない嬉しさに、安心感で一杯です。でもその陰で、スタッフの皆様の多くの努力のあったことは、云うまでもない事。心より感謝してます。 書き続けばきりのない阪神大震災。
 今度こそ二度と遭いたくない!!

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック