【匿名】
一九九五年一月十七日午前五時四十六分、突然ドーンと、耳を裂くような音、台所に立っていた私は、一瞬、爆弾が落ちたのかと思いました。
体か宙に持ちあげられるような縦て揺れ、飛ばされるような横揺れ、流しの縁をしっかりと握りしめて、しゃがみ込んで、暗い場所で、揺れが終わるのを待った。
気象庁の発表によれば、揺れの時間は二十数秒との事、しかし、私にはとても長く感じた。
揺れが終り、外の状況を見ようと思い、ベランタに向かうと、ベランダに置いていた等身大の、整理棚が倒れて、外に出る事ができない。すき間から、水を貯めて置いていたバケツがひっくり返っている。台所の二個のポリタンクの水は無事だった。このポリタンクは、一週間前に西宮戎へ御参いりに行った帰り、宮本クリニックへ立ち寄って、もらって帰ったポリタンクでした。
電気は、震災当日に復旧したが、ガス・水道、二台のエレベーターは、止まったまま。ようやく震災三日目に、一台のエレベーターが動く。しかし、この間、一階から九階の・自宅までの水汲みは大変でした。
飲料水は、二個のポリタンクを両手で、又トイレの水は、小学枚のプールの水をバケツで運ぶ。五階までは、一気に駆け昇る。そのあとは、なかなか足が進まない。途中、すれ違う人に、頑張って、御苦労様と、声をかけられる。顔は、覚えているが、震災前迄は、あいさつもした事がなかった。又、となりの小学枚二年生の和君、幼稚園の理奈ちゃんが、「おばちゃん、水の車が来ているよ」と教えてくれる。
車で外出する時は、車のトランクに、ポリタンクを積んで、行先で水をもらって持帰ったりもした。
ようやく二月四日、水が出た。これで、水汲みとも開放。万歳!早速、洗濯機の前に貼りつけていた、節約洗濯のしかたの紙を取りはずす。各箇所のペーパータオルを、タオルに取り替える。洗濯、掃除と一日中水仕事に追われた。
三ケ月経過した今、ふり返ってみると、水汲みは大変だったが、水汲み場所は、生活の情報源、又、友達の安否を知る、一服の場所でもあった。
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