【匿名】
「ブー。」いつものように目覚まし時計が鳴りました。午前五時三十五分のことです。「今日は、お弁当はないし、もう少し」と思いながら寝床から抜け出せないでいた時でした。突然、「ガガーン」という大きな音と下から突き上げるような震動、何が起きたのかのからないまま、家族の安否を確かめ主人について階下に降りました。そこは、足の踏場もない程の荒れようでした。
私は、昨年九月八日から透析を導入し、十月末から当院にお世話になってまだ二ケ月余り、やっと透析にも慣れた頃でした。一月十七日は、ちょうと透析の日に当たっていたのです。後世に残るような地震を体験するだけでも大変なのに、私達は命をつなぐ為の透析をかかすわけにはいきません。ハンディを負ってしまった事を思い知らされました。
道があちこちで寸断されている事を知った主人が、クリニックまで様子を見に行ってくれました。「自宅で待機して下さい」との指示でした。何回かの電話連絡の後、再びクリニックに行ったのは田時頃だったでしょうか。院内は緊張感につつまれ、院長先生も心配そうにしておられました。カリウム値の高い方から救急車で大阪の病院に行かれました。
残った私達は八時頃からスタッフの方の努力のお陰で三時間の透析を受ける事ができました。すっかり夜も更けて、信じられないような光景の中を、とにかく今日が無事に終わったことへの安堵感と、次回からの透析への不安がいりまじった気持ちで家路に着きました。
あの日から二ケ月余りが過ぎました。院長先生初めスタッフの方々のお陰で、私達は今日も無事に透析を終える事ができました。生かされている命を思い、一日一日を大切に過ごさねばと思うこの頃です。
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