阪神淡路大震災に寄せて
患者さんの体験記


【匿名】

 いつもの様に朝五時に起きて犬の散歩に行き、五時半頃に帰ってきました。
今日は、私の家で観音講という集まりかありますので、早く掃除をして置く事にしました。少し掃除を仕掛けた時にグラグラ、メリメリーという大きな昔と共に電気が消え、しばらくは何か何だか分からない内に上から物が落ちて来て、これは大きな地震である事かわかりました。家族の名前を呼んで返事があり、電池で顔を見て安心しました。しばらくして外の方で人の声かするので玄関迄出て行くと隣の母娘が泣きながら「家が倒れて怖かった」とパジャマ姿で立って居りました。着るものを探して着てもらいました。
 そうしている内に外が明るくなってきました。外に出て見ましたら、向かい側の門や、家が、大きく傾いてびっくりしました。私の家が建ってる方が不思議なくらいでした。隣近所、皆声を掛けて無事である事を喜んで居りました時に、三軒位 向の家の、おばあちゃんと奥さんが家の下敷きになって居られる事が分かり、皆で行きました所、二階が一階になって大きな材木が横たわって居り、機械でないと取れないという事でした。でも声が出ているので何とか皆んなで励まして居りましたが、だんだん小さな声になって心配してます。そうして居りますと、私の一番親しい友達が出て来れなく、声もしないという事を聞き、その辺に行くと道路が私の背丈ほどにもり上がり、電柱がたおれてすごい道になって居りました。
 後程聞いた話では、活断層が走った様でした。その方もかえらぬ人になり近所の顔見知りの人、八人が亡くなりました。三十秒足らずの間にこんな事になるなんて、今迄に味わった事のない悲しい出来事でしに。
 水もガスも出ない生活が始まり、トイレの水も川から一輪車で運んでくるのですが、水を入れて持って帰る時は上り坂で何回も休まないと帰れませんでした。食器なども割れましたので、なるべく紙の器にラップを敷いて使い捨てにして、水も使わない様にして居る生活でした。
 明けて十八日火曜日は私の透析日になって居ります。十七日から電話を掛けて居りましたが、通 じなく心配して居りましたので、朝少し早く子供に単車の後ろに乗せてもらって行きました。玄関を入ると院長先生が居られまして、顔を見るなり涙があふれ出ました。今日は三時間透析です。今、透析室に入って居られる方は月曜日の人達で、昨日から徹夜をして戴いた様です。でも三時間待って順番にしあげると聞いてほっとして待ってました。
 後から聞きましたら大阪方面の病院に行かれた方がたくさん居られた様です。私はクリニックでして戴いてほんとうに有難うございました。院長先生を初めスタッフの方、事務所の方々には大変お世話になり、ほんとうに有難うございました。
 クリニックに行く時は、家が倒れて道がふさがって居り、大変遠回りをして行きました。帰りに夙川の阪急高架の所を通 って帰りました所、阪急電車のレールが道迄下がって居り、見るも無残な光景でした。倒れた家を見ますと涙が出て悲しいです。おかげ様で私の家は一部破損ですみ、今迄通 り家で暮らして居ます。
 最後になりましたが、院長先生初め他の皆様にはほんとうに有難うございました。

 

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阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック