阪神大震災報告 (c)1995医療法人平生会 宮本クリニック

5.情報




【5】−1 院内対策本部の設置

 当院では火災時の避難対策は一応立てていたが、地震対策は全く立てていなかった。京阪神は地震が来ないと信じていたからである。それ故、地震発生後何の手本もないまま対策を開始しなければならなかった。神戸地区は断水だけでなく停電も長びき、当日の透析は明らかに不可能で、患者の他院への転送依頼が急務であったろうし、一方、尼崎地区は停電や断水時間も短く、院内での透析再開準備に全力を上げていたと思われる。西宮地区はその中間で患者転送と透析再開を同時に計らねばならず、対策本部の対応も同時かつ多岐に渡った。対応すべきは(A)透析再開に向けて1給水管の修理、2水の確保、3電気系統の安全確保、4透析機器の修理点検、5かたずけ・清掃(B)患者の後方支援病院への依頼に向けて1患者の安否確認と患者への状況説明、2受入れ病院への依頼、3患者への指定病院へ行くことの指示、4搬送手段の確保であった。
 電話が外との唯一の通信手段であること、患者や家族が次々と来院してきて、小人数でそれに対応しなければならないことより、自然と玄関受付横が<対策本部>となった。
 その後の<対策本部>としての対応は、後から見て正解だった面と反省すべき面 がいくつかあった。技術的な面のみ上げると以下の通りである。


(1)対策本部(指令塔)の人選はその場に応じて柔軟に決める。

 当院では私(院長)がまず登院し、その後事務長、臨床工学士、看護婦が駆けつけてくれたので最初から任務分担がスムーズに運んだ。私と最初に来た看護主任がまとめ役となり、出勤して来るスタッフの役割分担を決め、自らは患者との対応、外との連絡に当たった。実際は散乱した院内のかたづけにスタッフの大半の手が取られる状態であった。もし私が最初に当院していなかったらどうするかを後から考えてみた。管理者が出て来るまでの間、既に登院しているスタッフが従来の自分の持ち分だけをやっておけば良いという考えは全く通 用しない。医療機関としての全体的な対応が直ちに要求されるからである。
 まず一番最初に来たスタッフが自ら指令塔と考え行動する。複数になればお互いに相談して、適当だと思われる人がなる。そのように次々とかけつけて来るスタッフの中で、より適当な人と交代して、次第に通 常の管理運営体制に持っていけば良いと思われる。実際、翌18日夕方、婦長が来るまで、私と二人の主任の交代でやりくりし、その後は婦長、主任の三人が、私とのペアで24時間体制を交代で受け持った。副院長は透析室を受持ち、事務長は「水の確保」に専念した。なお、このような異常事態の中では、日常と違って非常に行動的になったり、機転が効いたりするスタッフが出て来る。又、患者のなかでも同様の人が出て来る。頭を柔らかくし日常概念(例えば、困ったら公共機関に頼む)ではなく通 常では考えないこと(例えば、困ったら民間会社や患者に頼む)で対応することの方が有効であることも多い。このような人の力を十分活用することが対策本部としては肝要である。


(2)情報の伝達は正確を期する為、日時、記載者の名前を明記する。

 指令塔の人間は上記の方法では次々と変わる。又、あまり変わらなくても24時間体制の中では休息も必要である。その時、申し送り(情報の共有)が十分なされなければならない。我々は壁にかけた白板に次々と情報の書いたメモをテープでとめ、それを参考にして申し送りをした。視覚的で判り易く、又誰でも見ることができるので、大変便利だった。しかし困ったことが起こった。その情報が何時に入った情報か記載がなく、二つある情報のいづれが新しいのか分からないという事態が出てきた。又、メモの詳しい内容を知ろうとした際、誰がメモを書いたのかサインがないため、確かめようがないことがしばしばあった。確認済みの情報はいつまでもおいておくと混乱する原因となるしスペース的にも邪魔になると言うことで次々と廃棄していったが、後に必要となってきた情報も合ったので廃棄せず、一日分まとめて袋に入れ、保存しておけは良かったと反省している。備忘録をつける精神的余裕が全くない中で、後々まとめるときの貴重な資料にもなったはずなのに残念であった。





【5】−2 通信

(1)電話

 地震発生当日、午前中は院内の電話での応答は可能であったが、午後からははとんど通 話できなくなった。公衆電話がよく通じることがそれとなく分かり、午後からの大阪の病院への依頼、患者の安否確認はもっぱら近くの公衆電話を使用した。公衆電話は、昼間は後に並んでいる人に気兼ねをするし、夜は寒空の下震えながら壊中電灯の明かりで電話番号を見てかけるという状態でみじめであった。
 後からNTTに聞くと一般家庭、職場の電話は通話制限をしたが、公衆電話は制限をしていなかったとの事だった。通 話制限をしない電話として「緊急回線電話」があり、従来より市投所、警察署、消防署等の公共機関及び、報道機関が使用しているとの事である。一般 の医療機関も加入可能と聞いたので、当院でも既に申請し、近々加入の運びとなる予定である。費用も高くなく、ぜひお勧めしたい通 信手段である。
 携帯電話は「関西セルラー社」のを使用していたが、当初は通話不能であった。但し、携帯電話同志の通 話が可能であったのかは不明である。


(2)パソコン通信他

 電話に代わるものとしてパソコン通信が有効であったとの報告があり、既に地震後の新たな対応として、神戸市内の病院同志でパソコンネットワークを作る試みがなされている。透析医療機関同志の通 信手段としても今後検討に値する方法と思われる。
 もし可能なら、無線による通信が一番確実ではないだろうか。少なくとも、県下各地区(10ケ所)に緊急事務局としての機能を果 たす為、一台は必要であろう。但し、パソコンネットワークであれ、無線ネットワークであれ、災害時でない日常的な活用を考えないと維持費の問題もあり、又、いざというとき稼働しない可能性がある。

 

【5】−3 マスメディア

(1)T∨

 テレビはアンテナが壊れて映像や音声が不鮮明であった事、被災者に役立つ情報が案外少なかった事により当初はほとんど利用しなかった。数日経って一息ついて他の被災地がどうなっているかを知る参考にはなった。テレビの報道は、そのほとんどが被災地の状況をその他の地域へ知らせる為のもので、被災地へ向けて報道するという姿勢が極めて弱かった。これは広域マスメディアの限界かもしれない。被災者は避難所へ入っている人だけでなく、実際は壊れた自宅で生活している人が大多数であったのに、その人達に役立つ情報が少なかった。被災地域では、「どこへ行けば水や食料、生活物資の確保ができるか」、「よりましな宿泊場所はないか」、「診てくれる病院・診療所はどこか」、「どこへ行けば入浴できるか」と言うような生活情報が日々必要とされていたが、そのような情報はすぐには流れなかった。又、透析に関しても遅れた情報や全体性を欠く報道が多かった。たとえは、23日(月)の時点では、すでに大部分の透析施設が再開していたにも関わらず、数日前の時点で透析可能な病院名を流していた。取材に時間がかかるという条件下での限界かも知れないが…。
 これらの事は県の災害対策本部の動きが鈍かった(もちろん公務員の方も大変頑張っておられたことは認めるが)ということも関連していると思われ、今後の大きな課題である。ローカルテレビ局は災害対策本部が直接管轄することが望ましいのではなかろうか。又、倒壊家屋が多い中で、テレビを見ることのできない人も多くいたので街頭テレビのような応急対策も必要と思われた。


(2)ラジオ

 ラジオはテレビに比して生きた情報が多かった。これは、最近のラジオがリスナーと共同で番組を作っていくという姿勢をとっている事に関連している。つまり、局に絶えずリスナーからの情報が入り、それをリアルタイムで流すというシステムができていて、今回は大いに役に立った。
 その中でも、地元・神戸市須磨区に局をおく「ラジオ関西」は一番密着した情報を流していたようだ。クリニックでは玄関受付にラジオを置き、事務員に一日中聞いてもらっていたが、役立つ情報を集めようとすると自然に「ラジオ関西」のダイヤルに固定されたようである。
 19日(震災翌日)早朝、ラジオ関西のDJが『透析を受けられる施設が分からず困っている人からの問い合わせが来ている』と放送した。当院の事務員が『うちでは今、水不足で外の患者を受け入れる余裕はないが、大阪の井上病院や白鷺病院へ行けば透析が受けられるようです。』と電話した。それがリアルタイムで放送され、次にそれを聞いた大阪市大病院から『うちでも3人受けられます。宮本先生がんばってください』とメッセージが放送された。つまりラジオが<通 信>の役割も果たしたことになる。震災時、ラジオ局(特にローカル放送局)への問い合わせは有力な手段となりうる。


【5】−4 連絡網の確立

(1)兵庫県透析医会の連絡網

 此度の大震災において兵庫県透析医会の連絡綱は当初全く機能を果たさなかった。近隣の透析施設がどのような状態か分からず、又、外からの救援活動がどのようになされているかもさっぱり把握でさなかった。一つの理由は事務局担当の医療施設がよりひどい被害を受けたということがあるが、最も大きい理由は、被災地内の医療施設はどこも自院の対策に追われて、他院の事を配慮する精神的、物理的余裕を持てなかったということにある。当時被災地内のいずれの医療施設に事務局があっても機能しなかったと思われる。それ故事務局(統括センター)は被災地に隣接した被災地でない、又は被害の軽い地域に速やかに移動させる必要がある。そうすれば他の地域との交信も容易であり、外との窓口にもなりうるし、余裕を持って内部の把握もできうる。会長が「事務局を○○に移転する!」と宣言すれば即座に臨時体制がとれるようにしておかなければならない。その為には、日頃から非常時には、事務局を代行できる医療施設を各地域に設定しておく必要がある。私見では兵庫県を10のブロックに分ければ対応できると思われる。すなわち1阪神東部(尼崎市・伊丹市・川西市)、2阪神西部(西宮市・宝塚市・芦屋市)、3神戸市東部、中部、4神戸市西部、5神戸市北部(神戸市北区・三田市・三木市)、6東播、7西播、8丹波、9但馬、10淡路である。


(2)広域連絡網

 被災時約600人の透析患者が兵庫県から大阪府へ移動し透析を受けた。又、此の度の被災地区の実態把握は、当初主に大阪の透析医会や透析医学会会員により行われた。つまり、本来県内でやるべきであったが事実上不可能なことにより、隣県の会員の努力によってなされたのである。これらのことを見ても緊急時には都道府県の枠を超えた連絡綱や協力体制が必要であることは明らかである。今後は近畿地方内での他府県との密なる交流、共同の災害連絡網の作成が必要と思われる。又、兵庫県では、西播、但馬、淡路地方においては岡山県、鳥取県、徳島県との連絡体制も必要と思われる。
 その他、日本透析医会、日本医師会、地方公共団体、厚生省とのホットラインも必要かと思われる。

 

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